これからの介護に必要なこと 後編

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これからの介護に必要なこと 後編

前回の記事「これからの介護に必要なこと 前編」では、これからの介護に大切な4つ

  1. 現場で働く介護職への理解
  2. 介護職員の確保
  3. 準市場への理解
  4. 「理想的な介護」の更新

の1と2つについて説明させていただきました。

ここからは後編として、3と4の準市場への理解理想的な介護の更新について説明させていただきます。

準市場への理解

経営サイドの方にとって、介護はあくまで準市場であるということを、今以上に理解を深めることが、これからの介護に必要なことなのだと思います。

準市場は、医療福祉など公的サービスにおいて、部分的に市場原理を取り入れている場合の総称。擬似市場。

【参考:Weblio辞書

介護サービスの起業をした方でなくても、介護に携わる方であれば、介護サービスは費用の9割が保険から給付される「利用者補助方式」の準市場である、ということくらいは理解していると思いますが、

  • サービスの供給者には、利益の最大化を目的としない公的部門や非営利団体も含まれている
  • 多くの場合、サービスの直接の利用者がサービス購入の選択を行うのは難しく、ケアマネジャー等の第三者(代理人)に決定を委任している
  • 介護保険料は、市町村が3年ごとに作成する介護保険事業計画にもとづき決定され、介護報酬単価は国が決定する公定価格、3年ごとに改定される。
  • 介護サービス市場の拡大は、介護保険財政に制約される

といったことは、理解されているのでしょうか?

【参考:公正取引委員会 準市場論の視点から

デイサービスであれば

在宅サービスであれば参入障壁は低く、小規模のデイサービスは、わずか8年程で約3倍の事業所数となりました。

ですが、小規模デイサービスは競争が最も厳しく、収入を上げていくのも難しいため、経営不振から別の会社へ事業所を引き渡すといったことも多く見られます。

介護サービスという準市場の特徴

競争だけであれば伝統的市場と同じですが、介護サービスの収入は上限が定められています。

伝統的市場であれば、収入を上げていくことによって利潤の最大化を目指しますが、介護サービスはあくまで準市場なのです。

つまり、介護サービスは、競争という部分が伝統的市場で、

  • 収入の上限が定められている
  • 消費者と生産者という二者間が中心ではなく、消費者と供給者と第三者で成り立っている
  • 収入に関わる公定価格は3年ごとに改定される

といった部分が準市場という、少し複雑なものなのです。

民間企業について

平成27年2月に発表された厚生労働省-介護人材の確保についてを見ると、事業所規模別では、事業所の規模が大きくなるほど離職率が低くなる傾向が見られ、法人格別では民間企業の離職率が他から頭一つ分飛び出しているということがわかります。

老人福祉・介護事業の倒産件数のデータでは、今のペースであれば、2015年は、前年の倍以上の倒産件数になるということを表しており、介護保険法が施行された2000年以降では過去最多のペースで推移しているということになります。

離職・経営、どちらに関しても、やはり会社が安定しているかということが大きく関係していると思われます。

これは、なぜ安定しないのかと考えるとわかりやすいのですが、3年ごとに改定される介護報酬に大きな影響を受けてしまっているからということになります。

介護サービスという準市場を理解する上では、

  • 介護報酬は3年ごとに変わっていく
  • 収入の上限が定められている

という2つを忘れないことが、とても大切なことです。

「理想的な介護」の更新

これからの介護に必要なことの最後に、「理想的な介護」の更新が必要だと思います。

どんな理想があるのかということを知るために、理想的な介護の背景から簡単に説明させていただきます。

理想の背景

  • 現代人の死生観
  • 家族介護の限界

上記の2つは、理想的な介護を知る上で大切なことであり、理想的な介護の背景でもあります。

家族介護の限界

医療・経済の成長により、高齢化がすすみ、私たちの親がしていた介護以上の介護が必要になってきました。

その一方で、病気に対しての精神的な免疫というのは大きく下がったのではないでしょうか?

不景気もあり、家族の介護をしながら働き続けるというのは簡単なことではありません。

ましてや、離れた実家にいる家族の介護となれば、なおのこと難しいものになります。

現代人の死生観

医療・経済の成長は死生観の変化にもつながっていると思います。

もともと、日本人の死生観には諸行無常の「人の一生は儚いもの」という虚無の思想があったのではないでしょうか?

そして、それを受け入れることが死というものを受容することであり、そこに尊さと美しさをも感じていたように思えます。

つまり、「生きるということは死を意味する」ということです。

ですが、医療・経済が進歩し、相互的に社会保障が安定した現代では「死」は「生」の反対に位置しているように思えます。

理想的な介護

理想的な介護の背景である、

  • 現代人の死生観
  • 家族介護の限界

この2つから導き出される介護士に求める世間一般の理想的な介護は、家族にするつもりでする介護ではないでしょうか?

もともと日本では、子が親の面倒を見るというのが当たり前のことでした。

そして、介護は家族にするものでした。

ですので、多くの方が家族を介護施設に入所させる際に望むことは「施設の人には自分の家族だと思って大切に介護してほしい」ということではないでしょうか?

多くの介護施設では、今でも介護士に「自分の家族のつもりで介護をしろ」と教え込んでいると思います。

ですが、家族で介護できなかったから介護事業所に預けるのであれば、「親の介護するつもりでうちの人も介護してほしい」「今まで私が親にやってきた介護をやってほしい」と人に望むのは、おかしなことに思えませんか?

また、介護士一人一人が利用者一人一人を家族と思って接していたら、業務が回らなくなり、感情が判断に影響するようなことも考えられます。

「家族にするつもりでする介護」というのは本当に正しいことなのでしょうか?

もちろん人様であり、優しさをサービスにする仕事であるので、「家族と思って介護をする」というのは目標として大切なことなのかもしれませんが、心をもって、常に一定のサービスを提供することの方が大切なのではないでしょうか?

その例えで「家族にするつもりで介護しろ」と言われているのでしょうが、これが介護士にとっては大きな負担となっているのです。

つまり、「家族にするつもりで介護する」というのは、介護士は家族側から見て常に最上級のサービスを利用者全員に提供しなければならないということなのです。

「家族にするつもりでする介護」こそが、介護士に求める世間一般の理想的な介護なのです。

理想の更新

介護士の悪いニュースは、警察官の不祥事のように扱われることもあります。

虐待や事故などのニュースが流れることによって、介護全体のイメージが低下するだけではなく、介護に対しての理想をより揺るぎないものにしてしまっている気がします。

もちろん、そういったニュースを流さないでほしいと言っているわけではありませんが、理想の確立を助長するような行為は、介護士の肩身がより狭くなることを意味してします。

肩身が狭くなるといっても、悪いことをしているというわけではありません。

疑う目に囲まれているような介護の世界で、心を通わせるような介護が、しにくくなってきているのです。

介護士は敷居が低く、安月給で便と尿を扱う肉体労働ということで、続けていくことが難しい仕事だと思いますが、世の中が高い理想を持ったシビアな目で判断をしているようであれば、介護士の離職率は今後も増加していくと思われます。

私だけかもしれませんが、介護士をしている自分が惨めに思えてくる時があります。

「家族にするつもりでする介護」を求める時代は、もう終わりではないのかと思います。

これからは介護と高齢者が良い関係で歩んでいける環境が必要不可欠なのです。

それはメディアサイドと家族サイドの方々に理解していただきたいことなのです。

実際のところ、介護士と良い関係になる利用者に共通していることは、どの方も感謝の気持ちをもってくれているということです。

そういった方に対して介護士の多くは、より良質なサービスを提供したくなりますが、どの利用者も生活しているとなると、できるものもできなくなってしまうのです。

介護士に、心をもって、常に一定のサービスを提供することを求めるのは当然のことだとは思いますが、高齢者側も歩み寄ることもこれからは必要なのではないでしょうか?

それでこそ双方の求める良質なサービスというものにつながるのではないでしょうか?

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kumo

他も見てみたいという気持ちから特養、有料、ショート、デイ、訪問入浴で働いてきました。 特養では介護職として、デイサービスでは立ち上げから運営、そして現在は都内の施設で現場もこなす生活相談員として働いています。 自分の家族介護と介護士としての介護の経験が少しでも介護に悩む方の力になれたらと願っています。
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