家族介護の心構え その弐

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家族

「延命治療はどうされますか?」

これは2年ほど前に母の病院で看護師長の方から言われた言葉でした。

母は埼玉にある施設に入所して10年ちょっと経った頃からは夏になるときまって40℃ちかい高熱を出すようになり、口が思うように開かなくなってからはペースト状の流動食を口のわずかな隙間から摂取するようになっていました。

最近では、その食事の摂取量もだんだんと減ってきており、高熱を出すことも増え、施設からは「もしかしたらもうそろそろ危ないかもしれない」という連絡も何度か受けましたが、看護師長からのその質問はやはりドキッとするものでした。

延命治療について

具体的な延命治療にはいくつかの方法があります。

母のような経口摂取ができない場合には栄養補給として以下の方法が挙げられます。

以下のどの方法も「口から食事をとれない」ということが前提になります。

  1. 点滴
  2. 中心静脈栄養
  3. 経鼻栄養
  4. 胃ろう
  5. 腸ろう
 名称その方法
静脈栄養点滴静脈注射手や足などの静脈内に注射針を留置
中心静脈栄養心臓近くの中心静脈へ細いチューブを挿入
経管栄養経鼻胃管鼻から胃へチューブを挿入
胃ろう内視鏡手術を行って、腹壁と胃壁との間にカテーテル
腸ろう内視鏡手術を行って、腹壁と腸壁との間にカテーテル

メリットとデメリット

やはりどのやり方だとしても良い面もあれば悪い面もあります。

ここでは介護施設でよく見かける胃ろうと中心静脈栄養のメリットとデメリットを表にして説明していきます。

【参考:介護インフォメーション

胃ろうのメリットとデメリット

胃ろうのメリットとデメリット
メリット・自己抜去のリスクが低い
・慣れてくると管理が容易
・より自然な消化吸収が期待できる
・下痢を起こすリスクが低い
*寒天状にした栄養剤が注入出来る為、下痢への対処が容易
・外見が気にならない。
・苦痛が小さい
*注入時間が短いことや管を交換する間隔が長いこと、腹部に短い管を留置しているなどの理由で、経鼻胃管より苦痛は小さい。 
・管が短い為、詰まり難く汚染も小さい為、感染のリスクが低くなる。
・状態によっては口腔での咀嚼や嚥下も可能
デメリット・体への侵襲が大きい。
*内視鏡を挿入して胃や腹部に穴をあけ胃瘻を造設する為心身ともに影響は大きい。
・胃瘻が完成するまでに、重篤な合併症を引き起こすことがある。
*胃瘻が不完全な場合は、胃の内容物が腹腔内に漏れて、腹膜炎を引き起こす危険がある。

中心静脈栄養のメリットとデメリット

中心静脈栄養のメリットとデメリット
メリット・確実な栄養補給が可能
・緊急時の対応が可能(薬剤投与や中心静脈圧などの測定など)
・消化管の安静保持が出来る。
・管による消化管などへの刺激や違和感、負担がない
・栄養補給時に伴う下痢や腹痛、不快感などの腹部症状がない。  
デメリット・消化管の自然な働きが妨げられる。
*長期間消化管が正常に機能していないと、腸粘膜の萎縮などで腸内環境の変化がおこり様々な弊害をもたらすリスクが高くなります。
・中心静脈のルートを介しての感染のリスクが高くなる。
・血栓症のリスクがある。
・代謝による合併症のリスクが高い
*血糖のコントロールが難しい、肝機能障害のリスクがある、 ビタミン類などが欠乏しやすい など
・中心静脈を挿入する時のリスクが高い
*経鼻胃管と比較すると合併症のリスクが高い。
例えば、気胸や空気塞栓、動脈損傷などがあります。

「死」について

「死」についての考察を進めていくとそこにはやはり「安楽死」と「尊厳死」というところに行き着いてしまいます。

そこで尊厳死と安楽死について調べてみました。

尊厳死と安楽死

尊厳死

患者が『不治かつ末期』になったとき、自分の意思で延命治療をやめてもらい安らかに、人間らしい死をとげること【参考:日本尊厳死協会】

安楽死

助かる見込みがない病人を苦痛から解放する目的で,延命のための処置を中止したり死期を早める処置をとること。また,その死。【参考:大辞林 第三版】

そして、尊厳死で大切になるのはリビング・ウイルと呼ばれる尊厳死の宣言書、つまり「生前意思」です。

リビング・ウィル

自分の命が不治かつ末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくのです。延命措置を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和に重点を置いた医療に最善を尽くしてもらう。【参考:日本尊厳死協会】

尊厳死と安楽死の違いは、「自分の意思を持って」というところではないでしょうか?

現代人の死生観

介護保険について色々と勉強していくと、社会保障制度と経済、社会構造や人口の構成というあたりを何度も行ったり来たりします。

ここからは私の個人的な考えですが、今と昔ではその死生観というものが大きく変わってきたのではないかと考えています。

もともと、日本人の死生観は諸行無常の「人の一生は儚いもの」という虚無の思想があったのではないでしょうか?

そしてそれを受け入れることが死というものを受容することであり、そこに尊さと美しさをも感じていたように思えます。

つまり、「生きるということは死を意味する」ということです。

ですが、医療・経済が進歩し、相互的に社会保障が安定した現代では「死」は「生」の反対に位置しているように思えます。

生老病死

私は仏教に全然精通しているわけはないのですが、仏教語に生老病死という言葉があります。

これは生まれること、老いること、病むこと、死ぬことの四つの苦で、人が生きる上で避けては通れない四つの苦しみということです。

私がまだ若く健康だからこういった考えなのかもしれませんが、これこそが人間らしいという生き方なのではないのでしょうか?

ですが、現代ではその生老病死の中の「病」を隠すということが正しいことのような認識になってきているような気がします。

もちろん、病気を患ってもそのままにしておくことが正しいということを言っているわけではありませんし、「病」のための医療だったり公的なシステムというのも事実であり正しい認識だとも思います。

では「死」をどう考えたら良いのか?
「死」を迎えた時にどうしたら良いのか?

「死」に対しての答えは結局、わからないというのが今の自分で、ここまで読んでくださった方に対して申し訳ない気持ちにもなりますが、私はリビング・ウィルの考えがもっと浸透していくことを望んでいます。

本人の言葉

まず、延命治療をするか、しないかというのは家族にとっては大きな選択になるのではないでしょうか?

延命治療をしないという選択は「もう生きていなくても良い」と自分が判断したようで罪悪感さえ感じてくるものです。

私の場合であれば、母はもう植物状態で拘縮も強く生きているのが辛いようにも思えます。

ですが、母が話せないということを考えると、やはりそれは自分の勝手な思いにも感じます。

たまたまつけたテレビで

私がその看護師長からの話を自宅に帰って父に話したところ父は「もういいんじゃないか‥」という答えを返してくれましたが、やはり自分の中では上手に納得することができず腑に落ちないような状態でした。

次の日に同じ話を祖母に話したところ、祖母は「延命はもうかわいそうだからやめてあげて」と答えた後に、「以前、お母さんが元気だった頃にたまたまテレビをつけたら延命治療の番組がたまたまやっていたの。そのときにお母さん「私はこういうのを受けたくはない」って言っていたから延命はやめてあげて」と言ったのです。

私にとって母本人の言葉はとても大きなものに思え、今は延命治療を受けない方向です。

ですが、もしそのときにたまたまテレビをつけていなかったら私は母の延命治療について今でも悩んでいたと思います。

今、家族介護をされている方に私が言えることは、はっきりとしているうちに本人の意思を伺っておくことが大切ということです。

最後に

今回の記事はデリケートな問題で心を害された方がもしいらっしゃったなら深くお詫び申し上げます。

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kumo

他も見てみたいという気持ちから特養、有料、ショート、デイ、訪問入浴で働いてきました。 特養では介護職として、デイサービスでは立ち上げから運営、そして現在は都内の施設で現場もこなす生活相談員として働いています。 自分の家族介護と介護士としての介護の経験が少しでも介護に悩む方の力になれたらと願っています。
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