家族介護の心構え その壱

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私は今から14年近く前に母を施設に入所させました。
その前の6年間は母の介護に時間を費やしました。

それはただ辛く長い時間でした。

母がアルツハイマーと病院で診断された時のことは今でも鮮明に覚えています。

相談室のような場所で妙に静かで重たい空気の中、少しだけ間をおいて話し出した担当医のその表情も、「単刀直入に申し上げますと、お母様の検査の結果はいわゆるアルツハイマー病です」という担当医の話を聞いた祖母のやりきれないような表情も、今にも怒鳴りだしそうな苛立ちを隠しきれないような父の表情も、そのあとの「先生からはなんて言われたの?」という私たちを伺うような母の表情も鮮明に覚えています。

できる限り母のそばで過ごしていた私は少し父や祖母に比べてある程度の覚悟はできていましたが、私たちを見た母の最初の一言が「ごめんね迷惑ばかりかけてて」という言葉には涙をこらえるのが必死でした。

帰りの車の中で祖母は泣き続け、父はそんな祖母に「こっちも悲しくなるから泣くんじゃねーよ」と怒鳴り、私は担当医の「まだ若いので進行がとても早く、早ければ2年後にはすべての記憶が消えるとおもわれます」という言葉がいつまでもずっと頭の中でぐるぐると回り、それが何周かするたびに「母は今何を考えているんだろうか」と思っていました。

それは母が52歳の時のことでした。

それからは家族で話をすることもなくなり、母が退院をしてからはアルツハイマーという病気が家族の溝を大きくしていきました。

私は「かわいそう」と思いつつも、何度も何度も同じ話を繰り返す母にヒステリックになり、どんどんと進行していく母に「終わりのない不幸」を感じていたのを覚えています。

「少しでも優しくしてあげたい」
「今しかできないから今のうちに精一杯の親孝行をしよう」
「いつかいい思い出に変わるはずだから」
「今まで散々迷惑をかけた償いをしなければ」

「結局、忘れてしまうんだとしても、少しでもいい思い出を残してあげたい」

アルツハイマーに対しては無駄なことかもしれないけれど、子としての責任のようなものを一人で抱え込んでいました。

それから何年かして

母は埼玉にある施設に入所となりました。

入所して2週間ほど経った時に、施設内で転倒をし大腿骨を骨折してからは歩くこともできなくなり、1年半ほどで植物状態となりました。

介護士として

母が施設に入所した日から、祖母は毎日のように泣き続け、父はそれを見て怒鳴り散らし、私は抜け殻のような生活を送っていました。

そんなある日、父が新聞の折り込みの広告に訪問入浴のスタッフ募集の記事を見つけ、私に紹介してきたのが介護士になろうと思った最初のきっかけでした。

また後々でお話ししますが、訪問入浴は3ヶ月も続かず、その後派遣社員として特養で働くことになりました。

洗礼

初めて見た特養は訪問入浴では考えられないほど介護介護しており、自分の中で作られ始めていた介護というものが根底から覆されるようなものでした。

特養の造り、その業務内容などが自分の想像を超えていたというのがその大きな要因ですが、研修時に介護主任から「家族の介護をしていたみたいだけど、施設の介護はそれに比べたらもっと大変だからね」という発言はどこかモヤっとするもので、それはいま考えても理解ができないことでもあります。

家族介護から仕事の介護へ

だらだらとした文章が長くなってしまいましたが、今現在家族介護をしている方に私が伝えたいことは

家族介護と仕事の介護は全く違う

ということです。

家族介護には家族愛がありますが、仕事の介護は生活や貯蓄などの目標のためであって、そこには家族愛はありません。

家族愛があるかないかはとても大きなことで、家族介護の肉体的、精神的な負担の全ては「家族だから」というところにつながっているはずです。

「家族だから疲れる」「家族だから心配になる」「家族だから放っておけない」

ですが、介護を仕事として行うと、そこに家族愛はないため、どんなに大変だとしてもあくまで「仕事」として割り切れてしまいます。

さらには仕事の対価としての給料も発生します。

もし今現在、家族介護をされている方が介護士として介護の仕事をしたら、その家族愛が及ぼす影響というのをお大きく感じることでしょう。

介護と殺人

介護殺人は17年間で672件 「介護者には味方が必要」 とケアラー連盟が法案提言

 ケアラー(家族など無償の介護者)連盟は「介護者が仕事を辞めたり、交友関係が途切れたりせずに、個人としての尊厳が重んじられる社会の実現が法案の目的」とした。

こちらはハフィントンポストというサイトの記事を要約させていただいたものです。

これは酷いと思われるかもしれませんが、私は「介護者(子)が要介護者(親など)を殺した」とニュースを見ても、「子供が親を殺すなんてなんて酷いことをするんだ」などは全く思いません。

むしろ、「それだけ大変だったんだろう」という気持ちになります。

そしてそこにはやはり家族愛が大きく関わっているのだと思います。

それは血の繋がった大切な家族だからこそであり、恩返しをわかってほしいという思いなどがヒステリックとなってしまうのです。

私からすれば、こういった事件は他人事とは思えません。

私は怒鳴ったりは何度もしましたが、紙一重で手は出しませんでした。
ですが、母の施設入所がもしもっと後まで決まらなかったとしたら、もしかしたら自分も同じだったかもしれないとも思います。

だからどうしても殺人は殺人かもしれないけれど、家族愛の末の殺人が同じ殺人だとは思えないのです。

家族介護 家族愛の行く末

私は現在、介護士として現場にも出ますが、生活相談員としても働いています。

生活相談員としての主な業務は「家族と施設のパイプ役」で、家族との連絡業務や入所される利用者の入退所に関わる業務、相談や苦情などの窓口的な業務などが挙げらるのですが、生活相談員になったのは自分の家族介護の経験からでした。

自分が母の介護をしていた時には「死んで終わりになるのではないこの気持ちは誰にも伝わるわけがない」と塞ぎ込んでいましたが、わかる訳はないけれどわかろうと手を差し伸べてあげられるのが生活相談員だと知ったからです。

家族愛があるのならば、家族を施設に入れるということは、まるで「もう手に負えない」と見捨てているような感じでとても抵抗のあることだと思いますが、同じように家族介護をした人間に「介護サービスは一概にそうでもないですよ」と言われたら、それは小さな一言かもしれませんが私には心に届く一言に思えます。

介護に対しての不安や抵抗を「同じような経験をしたからこそ」できる限り近い立場で考られるとも思っています。

アセスメント

介護サービスを利用する上でアセスメントというものが必要となってきます。

アセスメントとは、介護サービスの利用を希望している方のご自宅などに生活相談員が伺い、

  • その方がどんな方なのか?
  • どんなことを求めているのか?
  • 生活でどんなことが問題なのか?
  • それは何が原因なのか?
  • その方にはどんな援助が必要なのか?

ということを知るためのサービス前の事前評価で、これを元にその方に合ったサービスを提供していきます。

私は今まででそのアセスメントで数十人の方のご自宅に伺いましたが、ご自分で介護サービスの利用を希望される方は10%もおらず、実際のところは介護負担の軽減を目的としたご家族の利用希望がほとんどです。

家族介護に疲れ切ったような方もいれば、私たちのような生活相談員を待っていたとばかりに受け入れてくれる方、協力的な方もいれば、若干非協力的で介護を疑っているような感じの方も方もいます。

わりと多いのが「だから、おばあちゃんは今は黙ってて、今は大切な話をしてるんだから」などと娘様からお母様に対するちょっと冷たいような発言も多く聞かれます。

そこだけ見たら冷たいと思うかもしれませんが、それもやはり家族愛の末なのだと思います。

愛と憎しみは紙一重といいますが、愛があるからこそ憎くなるというのが顕著に現れるのが家族介護の一つの特徴なのではないでしょうか?

認知症

伝わったうえでどうするのかは別として、伝わるというのはとても大きなことです。

家族介護で「死」というのはとても大きな苦しみであるとは思いますが、そこが終着地であるとも思います。
どんな病気も発症と進行があり、結果的に「生」か「死」に行き着くと思いますが、認知症は記憶がゆっくりと消え別人格になってしまう「生」でもなければ「死」でもないような特別な病気です。

「死」の先にはよっぽどのことがなければ、それ以上の悲しさや苦しさが生まれることはありませんが、認知症だけは終わりの見えない悲しさや苦しさがゆっくりと増していきます。

「生きているだけまし」「死んでしまったら元も子もない」「会おうと思えば会えるだけいい」そう思う方も多くいるとは思いますが、最終的に植物状態になるのなら、それは生きている方が辛いことのようにも思えます。

もし認知症の方の家族介護をしているのであれば、施設に入れないにしても少しだけでも離れる生活をすることをお勧めします。

例えばデイサービスにしてもショートステイにしても、お互いに距離をとることで良い関係が気づけるだけでなく、これから先に生まれるであろう不安を受け入れやすくなると思います。

認知症は真に受けた家族介護するとど互いに滅入ってしまうのはほぼ間違いないことなので、適度な距離を取れないのであれば、やはりどこかで割り切ることが大切なのではないでしょうか?

親ならば子が元気でいて欲しいときっと思うはずです。

それさえも壊してしまうのが認知症ということは覚えておいてください。

もし、私の母が一言だけ思っていることを話せるのだとしたら母のことだからきっと

「ごめんね、こんな体になってずっと迷惑をかけてて」と言うと思います。

だから私は母に会うたびにいつも「そんなのは全然いいよ」と勝手に心で返答してます。

でも、もし話せるのならもう一回だけでも少しだけでも話したいです。

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kumo

他も見てみたいという気持ちから特養、有料、ショート、デイ、訪問入浴で働いてきました。 特養では介護職として、デイサービスでは立ち上げから運営、そして現在は都内の施設で現場もこなす生活相談員として働いています。 自分の家族介護と介護士としての介護の経験が少しでも介護に悩む方の力になれたらと願っています。