何年か前にいたAさんという方の話

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ジャズ 介護

この間、特別養護老人ホームで働いていた頃の同僚を街で見かけました。

もうあれから何年も経っていて、実際にそうなのかはわかりませんでしたが、その頃働いていた特別養護老人ホームのことが段々と蘇ってきました。

今回は、Aさんという方の話をします。

  • 名前:Aさん
  • 年齢:80代
  • 性別:男性
  • 移動:車椅子
  • 認知症:なし
  • 生活:個室

初めて会った時のこと

私が特別養護老人ホームで働くようになって、最初の見た印象深い利用者がAさんでした。

Aさんは、ナースコールを頻繁に押す方で、ナースコールを押しては職員に対して暴言を吐くような方でした。

あれこれと要望も多くて、苦手がる職員も多く、中にはAさんが理由で退職をした職員もいました。

私が三回連続でナースコールに対応した時には、

  • 「何回言ってもわからないんだな」
  • 「三歩歩くとすぐに忘れちゃうのか?」
  • 「お前は鶏だな」

と言われたことは今でも鮮明に覚えています。

慣れてくると

Aさんは要望が多く対応する職員に厳しいところがありましたが、人間味あふれる方で、散々文句言った後でも、職員が部屋から出て行く時には「ありがとうございました」と大きな声でいつもお礼を言ってくれる方でした。

私は段々とAさんが好きなってきました。

私は、出勤するたびにAさんに挨拶をするようになって、いろいろな話をするようになりました。

私もAさんも音楽が好きということもあり、打ち解けるまでにそう時間はかかりませんでした。

Aさん好きなアーティストはビング・クロスビーで、好きな作曲家はコール・ポーターだったのですが、コール・ポーターに関しては、私の母の病気がひどかった頃に本当によく聞いていたので、どんな話をしていたのかも未だに覚えています。

クリスマス前のこと

クリスマスが近くなってきた、何年か前のちょうど今頃、私は家からレコードプレーヤーとビング・クロスビーのレコードを持ってAさんの居室に行きました。

ビング・クロスビーは特に好きというわけでもなく、たまたま家にあったのですが、それがクリスマスアルバムだったということもあり、なんとなく聞かせてあげたいなという好奇心に似たような気持ちからでした。

雪が降っていたり、クリスマスの装飾がしてあったりといった華やかなことは何一つありませんでしたが、ポータブルレコードプレーヤーの針を落とすと、そこは不思議なほどクリスマスでした。

流し始めて間もなく、「これ聞いていた時、俺ホテルで働いていたんだ」と言い出すと、その頃のAさんの状況を涙ながらに話してくれました。

どんな話だったのかは覚えていますが、あえて割愛させていただきます。

ただ、わがままで江戸っ子のようなAさんがワンワンと泣いている姿はとても印象的でした。

次の年の夏

クリスマスが終わってからも私とAさんの関係はとても良好でした。

年が明けて、半年が経った夏になり、施設では夏祭りの準備に追われていました。

幸い、私は飾り付けの係だったので、夏祭りの日まではこれといってやることもなく、夏祭りの当日は利用者を順番に誘導する係になりました。

そして、夏祭りの日になりました。

当初は利用者を順番で誘導することが私の役目だったのですが、準備や進行が予想以上に捗っていたようで、「介護士1人が利用者1人を誘導する」と変更になりました。

その時のAさんの担当が私でした。

Aさんをベッドから起こし、車椅子に乗せ、「さあ出発です」と私が言おうと思った時、Aさんは私に「ちょっと鏡の前に行かせてくれ」と言いました。

Aさんは鏡の前の髪をとかし、なぜか香水をつけました。

私が少し笑いながら「香水ですか?」とAさんに聞くと、Aさんは「何が悪いんだよ。娘が送ってくれたんだよ」とだけ言って「早く連れて行け」と言わんばかりに外を指さしました。

外は日も落ち、小さな豆電球と炭坑節の音楽がお祭りの雰囲気を作っていました。

どこからか「踊る方いたら、ご一緒にどーぞー」と声が聞こえてくると、太鼓を囲んで輪になって踊る中をAさんは静かに指さしました。

私はAさんを連れて、その輪の中に入ると、しばらくしてAさんは急に泣き始めました。

「どうしたのですか?」私がそう聞いても、泣きじゃくるAさんは遠くを指差すだけで何を言っているのかさっぱり理解できませんでした。

いつの間にか音頭も終わり、花火が打ち上げられ、お祭りの終わりが近づいてもAさんは泣きじゃくり、遠くを指差しているだけでした。

Aさんの言葉で唯一聞こえたのは「混む前に部屋に帰らせて」という一言でした。

施設長が最後の締めの話をしている時に私はAさんを連れて、部屋に帰ろうとしたのですが、その時もAさんはまだ指を指したままでした。

その方向にはさっきまで音頭を踊っていたボランティアの方々がいました。

Aさんは必死にも思えるような声で私に「あの人の所まで連れてって」というと、その音頭を踊っていたボランティアの方の1人の所まで私を案内しました。

そして小さな庭にたくさんの人が集まる中、そのボランティアの方のところに行き着くと、Aさんはその方の手を握り「お母さん」「ありがとう」と言ってまたワンワンと鳴き始めたのですが、私とそのボランティアの方には正直、何のことなのかさっぱりわかりませんでした。

部屋について少し落ち着いたAさんにそのことを伺うと、Aさんは「あの人、俺のお母さんの若い時にそっくりだったんだ」とだけ言って隠れるように布団に潜ってしまいました。

それから私は、1週間ほど夏季休暇をいただいたのですが、1週間後に戻ってきた時には、もうAさんは亡くなっていました。

Cole Poter の代表曲の一つである You’d Be So Nice To Come Home To を載せておきます。

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kumo

他も見てみたいという気持ちから特養、有料、ショート、デイ、訪問入浴で働いてきました。 特養では介護職として、デイサービスでは立ち上げから運営、そして現在は都内の施設で現場もこなす生活相談員として働いています。 自分の家族介護と介護士としての介護の経験が少しでも介護に悩む方の力になれたらと願っています。
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